
牛飼いとして独立

安藤 大峻
(千葉県出身)
牛飼いと米作り

立脇 良基
(山口県出身)
牛一筋のキャリア

飯田 彩華
(福岡県出身)

牛飼いとして独立
千葉から阿蘇へ。30歳で選んだ「移住と独立」
千葉県生まれ。大学卒業後、東京で不動産関連の仕事に従事の後、牛飼い の仕事を経て2022年秋、妻とともに阿蘇へ移住。阿蘇のあか牛・草原牛プロジェクトで2年間の新規就農研修後、2024年秋に独立。牧場名はHAYMOO(ヘイムー)。周年放牧であか牛とジャージーの繁殖・肥育に取り組みつつ、今も週4回、草原あか牛のエサやりに携わる。一児の父。
安藤 大峻
千葉 → 大分 → 阿蘇。牛のいる暮らしを選ぶまで
千葉で生まれ育って、新卒では東京でオフィスビルの仲介や人事の仕事をしていました。入社する時から決めていたんです。「3年働いたら、自分の好きなことをやろう」と。社会人としての基礎を学ぶための期間と割り切っていました。結局4年弱働いて、次に向かったのは大分。当時、社会問題を解決するようなことに興味があって。自然も動物も好きだったから、ホームページで見つけた牧場に土日を使って直接飛び込みで行って、「働かせてください」ってお願いしました。牛と関わる人生なんて、それまで全く考えたこともなかったんですけどね。ただ、この1年間が人生で一番きつかった。機械でやった方が効率的なことも、全部人力でやる。体を壊して辞めることになったんですが、逆にこの経験で「これ以上やったら自分は壊れる」っていうラインがはっきりわかった。今思えば、すごくいい経験でした。
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(サラリーマン時代の写真や、千葉にいた頃のお写真など今とギャップのあるお写真があればぜひお願いします)
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(Instagramから草原の牛の写真を拝借していいですか?)
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阿蘇の草原を見て、即決した
辞めた後もやっぱり牛飼いをやりたくて、半年かけて四国や九州で牧場の土地を探しました。地図で耕作放棄地ぽい場所を見つけては現地に行って、近所の人に聞き込みをして回る日々。そんな時、名前だけ知っていた「阿蘇のあか牛・草原牛プロジェクト」のことをふと思い出して、ダメ元で電話したんです。「土地ならいっぱいあるから、一回来てみたら」って言われて、「明日行っていいですか?」ってすぐに九州行きのフェリーに乗りました。そして、初めて阿蘇の草原を見た時、「ここだ」って思いました。半年間、いろんな場所を見て、森を少しずつ切り開いて草原にしようとか、そんなことばかり考えてきたのに、完璧な場所が目の前にあって。呼ばれたんだなって。即決でした。でも、牛を放牧する理想的な場所なのに牛がいないことに少し驚きました。
すべてを1から。地元の人に助けられながら
2年間の研修を経て、2024年10月に独立。でも実際に牛を入れられたのは、2025年4月です。補助金や借り入れ、行政とのやりとりで半年以上遅れて。国立公園内なので建物も簡単には建てられない。壁が常に立ちはだかりました。それをひたすら越えていく連続。親が牛飼いをしていたわけじゃないから、土地も機械もエサも牛舎も、何一つない。だから、地元の人に聞くしかない。地域の行事には全部顔を出して、困ったことがあれば相談して、機械や資材を貸してもらう。牛舎兼作業場も1年半かけて設計したり、廃材を集め回ったりして、いろんな人に助けてもらいながら、できることは全部自分でやっています。
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(機械借りて作業とか)
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(お祭り参加など)
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牛のストレスをなくしたい
毎日のエサやりはもちろんですが、ブラッシングをして、牛を直接、手で触って関係性構築っていうか、健康チェックも兼ねて牛とのコミュニケーションは欠かさずにやってます。僕は牛のユートピアを作りたいんです。牛のストレスを極限までなくしたい。放牧をベースにしていますが、冬は寒さを凌げる場所を作って、夏は日陰のある避暑地を作って、牛が自分で選んで好きなだけ食べられるようなエサを用意する。放牧って実は非効率です。牛舎飼いの方が圧倒的に効率的だってわかってるんです。でも、それだったら僕はやらないと思います。
みんなが帰ってこれる場所をここに
実は、この牧場を作ろうと思ったのは、牛ももちろん大きな理由だけど、一番は家族や友達、大事にしてる人たちが帰ってこれる場所を作りたかったんです。子どもの頃、夏は海、冬はスキーっていうのが家族の恒例行事で。東京で働いていた時も、月に1回くらい友達10人以上で古民家を借りたり、山梨に行ったりしてました。今も、月に1回くらい東京や海外から友達が遊びに来てくれるんです。手伝ってくれたり、牛を見て喜んでくれたり。それがすごく嬉しい。結局、僕がやりたいのは、人が繋がる場所を作ることなんです。牛舎でバーベキューしたり、コーヒー飲んだり、たわいもない話をしたり。大事にしてる人たちが気軽に来れる場所になれたらいいなと思います。夢とは別にちゃんと計画もあります。8年後には牛30頭の牧場にして、毎月1頭以上はお肉として提供し続けられるようにする予定です。
もしこの道に興味があるなら、まずは阿蘇に来てみてください。牛だけじゃなくて、暮らし全体を見てほしい。牛飼いだけじゃなくて、米や野菜、林業などいろんな組み合わせができるから。仲間が一人でも増えてくれたら、僕もすごく嬉しいです。
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(安藤さんの別カット希望。Instagramの干し草積み上げた写真など)
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牛飼いと米作り
牛だけではないという選択― 米づくりと放牧
山口県出身。約20年の会社員生活を経て、阿蘇に移住。農業・畜産ともに未経験で2022年5月から「阿蘇のあか牛・草原牛プロジェクト」に参加し、研修をスタート。現在は農薬・肥料を使わない自然栽培米づくりを中心に、週3回、草原あか牛の夕方のエサやりに関わっている。
立脇 良基
人生を変えた夢―広島での経理から阿蘇へ
こういうと不思議に聞こえるかもしれませんが、2020年の10月、鮮明な夢を見たんです。「このまま会社にいても、自分が本当にやりたいことは見えてこない」。目が覚めた後、ああ、俺もう会社辞めるなってその時、思いました。広島の企業で経理をやっていて、給料もあるし、なかなか決断がつかなかった。
でもその夢をきっかけに、半年かけて引き継ぎをして、2021年のゴールデンウィークに阿蘇へ引っ越しました。以前、両親と旅行で黒川温泉を訪れて以来、ずっといいなと思っていた場所だったんです。

阿蘇への移住後、運命の出会いが。2000年以上の歴史をもつ阿蘇神社での結婚式での1枚

草原にたたずむ牛に惹かれて
引っ越してきてしばらくは畑をやったりしながら、これから何をしていこうかと考えていました。2022年の3月、ふと「牛飼いをやってみたい」と思ったんです。阿蘇の草原の中に牛がいる光景が、すごく印象に残っていたんだと思います。草原で放牧されている、そういうやり方の牛飼いをしたかった。
放牧畜産の研修先を探したら、紹介されたのがこの「阿蘇のあか牛・草原牛プロジェクト」。行ってみたら家のすぐ近くで、車で数分のところでした。「ああ、これも何かの縁があったのかな」って思いました。
研修で知った現実―向き不向きとお米との出会い
独立に向けて牧野を借りる交渉などもしていたのですが、新規就農研修の終わりごろ、現実に直面しました。3人がかりでも牛を思うように動かせなかったことがあって。ロープワークも実は昔から苦手で、「自分、これやっていけるかな」って思いました。だから、独立して牛飼いになる、っていうのはちょっと厳しいなと。でも同時に、自然栽培でのお米作りを始めていました。農薬も化学肥料も、堆肥さえも使わない栽培方法です。種があって、芽が出て、植えて、大きくなって、実る。その一連の過程を見守るのが、すごく嬉しかったんです。地球環境との調和も感じられて。牛だけで結構、時間と体力を使うし、同時に田んぼもやるのは身体が持たない。だから、私はお米に専念しようと決めました。


農薬・化学肥料・堆肥も使わない自然栽培米。丁寧な手仕事によって育ちます。

自然栽培米と週3のエサやり―独立しなくても牛と関わり続ける
畜産農家として独立はしなかったけど、年間を通じて週3回、草原あか牛の夕方のエサやりを手伝っています。自分の牛も2頭、草原牛プロジェクトに飼養を委託して、一緒に世話をしてもらっています。牛はやっぱり癒されますよね。すごく純粋で、エサをあげて食べに来るのを間近で見ているだけで癒される。それも、自然の中でのびのび過ごしているからだと思います。
自然栽培の米は今、9反(0.9ヘクタール)やっていて、将来的には3町(3ヘクタール)くらいまで増やしたい。耕作放棄地をお借りできることになって、田んぼを増やしています。お米をメインにしつつ、できる範囲で牛とも関わっていく。今みたいな感じを続けていければなと思っています。
頭で考えるより先に、自然と惹かれることが本当に自分のやりたいことなんだと思います。思ったら、とりあえずすぐ行動に移す。それは昔からの信条なんですけど、その結果として今、ここにいます。今思い返すと、本当に辞めて良かった。人生、激変です。

牛一筋のキャリア
牛が牛らしくとは?
—— 牛舎から放牧へ
東海大学農学部に在学中からあか牛に興味をもち、卒業研究は「あか牛の採食行動」をテーマに選ぶ。卒業後は、育成牧場や繁殖牧場など、一貫して牛に関わる仕事に従事。2024年11月から「阿蘇のあか牛・草原牛プロジェクト」に参画し、新規就農研修をスタート。放牧技術指導担当の服部先生が東海大学に在籍していた頃の教え子でもある。
飯田 彩 華
「牛が牛らしく」って何だろう?
大学の卒業研究で、「牛が牛らしくいるには」というテーマを扱いました。放牧地でGPSと活動量計をつけて、牛がどこで草を食べているかを追いかける日々。でも、この言葉の本当の意味が分からないままでした。
卒業後は、牛の育成牧場や繁殖牧場で3年半働きました。哺乳担当から始めて、発情管理、分娩対応。一人で牛舎にいることも多かったので、技術は身につけてきたと思います。周りの方に相談しながら、逆子のお産も対応できるようになりました。
写真(大学時代の牛との写真などあればぜひ)
ああああああああああ
写真(大学時代の牛との写真などあればぜひ)
熱心な引き留めを断って、放牧の世界へ
そんな時、大学時代の恩師である服部先生から声がかかりました。草原牛プロジェクトで一緒にやらないかと。正直、すごく迷いました。勤めていた所からは「お給料上げるから」と引き留められて。でも、放牧はずっとしたかったし、あか牛もずっとやりたかった。
そして何より、30代になってからこれができるかって考えたら、多分もう保守的になってしまう気がして。20代のうちにやれることはやっておこう。やらない後悔より、やる後悔のほうがいいと思って、決めました。

放牧で見つけた「牛の幼稚園」
放牧で一番驚いたのは、牛の「共同保育」です。ここでは親子が一緒に放牧されているんですが、ある程度育った子牛たちは、お母さんから離れて6、7頭でワラワラ固まっているんです。その近くに、数頭のお母さんがいて見守っている。本当のお母さんはどこかで草を食べていたりして。まるで子牛の幼稚園みたいな光景です。また、この間、柵から脱走した子牛を追い込んでいたら、そばにいたお母さん牛が、後ろを向いてワーワー鳴いていました。その子牛は自分の子じゃないのに。どちらも牛舎飼いでは見られない光景で、面白いなと思いました。
真冬の雪が積もった朝に肥育牛のエサやりをしていた時のことです。谷底の風を避けられる場所に牛たちがいたので、おーいって呼んだら、真っ白の景色の中から、向こうから牛が歩いてくるんです。自分で寒くない場所を選んで、呼ばれたら戻ってくる。牛が牛らしくって、こういうことかなと思いました。
放牧は、普通の畜産とはまた別の大変さがある
もちろん、大変なこともあります。放牧は単に放し飼いにしているわけではないので、楽な仕事ではありません。特に、朝の健康チェックのために牛を集めるのは毎回、苦労します。広大な草原の中で好きな場所にいるので。呼んでも来ない時は、歩いて迎えに行って、エサのところまで連れてくる。道なき道を結構、歩くこともあります。
特に冬は寒いし、乾草ロールをあげる作業も増えるので、仕事量も多くなります。その日の状況を見ながら、毎日判断を重ねていく必要があると感じています。


よい「養い手」になりたい
今、私は研修中で、自分名義の牛は持っていません。だから正確には「牛飼い」ではなく、「養い手」なのかもしれません。いい養い手になって、牛が牛らしくいられる環境を作りながら、ちゃんと経営としても成り立つ。そういうバランスを見つけていきたいです。
これから放牧に関わりたいと思っている人がいたら、何でもやってみることが大切だと思います。私も迷いましたけど、やってみて初めて分かることがたくさんありました。牛の仕事は、飼料の計算などはAIができるかもしれないけれど、その日の牛の顔色を見て「今日は元気がないな」「昨日と違うな」という微細な変化を感じ取れるのは現場にいる人間にしかできないと思っています。